待望の堀江眞美弾き語り <昭和歌謡曲集> 第一弾
CBCE-1005「逢いたくて逢いたくて」
堀江眞美は昭和歌謡の名曲を現代のスタンダード・ソングにした 解説 小針俊郎 |
まず堀江眞美の本作の曲目ラインアップをご覧いただきたい。唯一の洋楽「日曜はダメよ」を除けばすべて昭和歌謡の名曲揃いだ。最も古いもので昭和15年(1940年)の「蘇州夜曲」「小雨の丘」。次いで終戦直後の「港が見える丘」(1947年)。あとは50年代の3曲、60年代の3曲と並んでいる。この選曲センスのすばらしさが本作の魅力の第一である。 日本歌謡の歴史を繙くと、いわゆる国民歌謡といわれる曲は、1980年代以降はごくまれにしか生まれていない。文字通り幼い子供から老齢の方までが時代感覚を共有できた昭和時代。それは既に日本から去って久しい。 ここに堀江眞美が本作を発表した心底には、こうした日本のスタンダード・ソングともいうべき珠玉の名曲を、およそ情趣や風情に欠ける曲しか持たない現代人に伝えたいという望みがあったからではないだろうか。 近年は薄れてきたが、かつて歌謡曲はオリジナル歌唱者以外には閉ざされていた。本作の曲名を見て、往時に名唱を残した歌手名を思い出すかたも多いだろう。他者が取り上げることを禁止する風潮すらあったのだ。この意味で堀江の姿勢は挑戦的でもある。 この弊風に拘泥することなくサラリとやってのけたのは、彼女の本質がジャズ・シンガーだからだ。スタンダードになり得る名歌は万人に開かれているのがアメリカのジャズ界だ。後発のシンガーはむしろ先行例を参照しながらも、これを凌駕しようと切磋琢磨する。 堀江眞美が自らの流儀で歌い上げたこれらの曲を聴いて感じる魅力の第二は、オリジナルを歌った誰にも似ていないということだ。曲そのものへの敬意を払いながら、自らの経験と感性をもって解釈して全て自分の歌にしている。そして私が最も感動するのは、ナツメロ集にしていない点だ。どの曲を聴いても、昭和の名曲の風格を残しながら令和の歌にしている。ジャズ・シンガー堀江眞美にしてはじめて可能な偉業だと思った。これが魅力の第三である。 |
|
曲 解説 | 堀江眞美 |
1 逢いたくて逢いたくて | 1966年 園まり 歌唱 宮川康 作曲 |
作曲者宮川康さんは昔、NHKテレビ番組でご一緒したことがありました。元はジャズピアニストで、その後歌謡曲の作曲家となっています。彼の楽曲にはやはりジャズテイストが流れているので、今回ジャズバラードとして宮川さんもきっと喜んで下さるような雰囲気に仕上ったと思います。 |
2 港が見える丘 | 1947年 平野愛子 歌唱 東辰三 作曲 |
この曲は母とお琴やピアノやハーモニカなどで歌ったりした想い出の曲。口ずさむだけで景色が広がる素敵なメロディと歌詞です。私と母は時間さえあれば音楽を奏でていました。音楽は譜面は必要なく、心で歌う、心で弾く、相手と調和する。は母から教わったもので今も変わらず、心がけています。 |
3 日曜はダメよ | 1960年 コニー・フランシス 歌唱 マノス・ハジダキス 作曲 |
映画好きであった母は、家風呂があるのに、毎日幼い私を連れて風呂屋に走り、私をザブッと湯につけただけで、映画館に走り、30分だけ観て何食わぬ顔で帰宅、翌日は30分ずらして途中から観るといったことを繰り返していました。映画館も呆れて入場料はあまり取らなかったようです。家事に追われる母の唯一の息抜きでもあり、私もお陰でほとんどの洋画を観て育ちました。その後プロになり、ジャズのナンバーがほとんど映画音楽であったので知っている曲ばかり、おまけに情景も思い出され、表現することに苦労がありませんでした。メリナメルクーリは憧れの女優の一人、彼女の大胆な仕草、ギリシャの青い空や海など思い浮かべながら仕上げた作品です。 |
4 爪 | 1964年 ペギー葉山 歌唱 平岡精二 作曲 |
ペギーさんの亡き後、譲り受けたペギーさんのオーケストラ譜一式の中にこの曲もありました。これもジャズの香りがする名曲ですが、作者の平岡精ニさんはジャズミュージシャン。青学時代知り合ったペギーさんのためにこの曲を書きました。私が平岡さんと初めて会ったのはその20年後、六本木にあったBody and Soul。親子ほど歳の離れた平岡さんと意気投合し、Bodyの裏にあったご自宅によく遊びに行き、セッションしたり、共通の趣味、モトクロスに出かけたり、と楽しい思い出が残っています。 |
5 小雨の丘 | 1940年 小夜福子 歌唱 サトウハチロー/服部良一 |
私は母から高峰三枝子さんのバージョンを聴かされ、よく一緒に歌いました。 豊岡さんの強い希望があって録音時にプラスした一曲です。戦後間も無くこの曲を聴いて色々な意味で共感した人は多いのでしょう。 |
6 蘇州夜曲 | 1940年 李香蘭(山口淑子) 歌唱 西條八十/服部良一 |
この曲は私の生涯を通じて最も身近な曲。満州引揚者の母が、満州時代、子供の頃訪れた寒山寺が歌詞の中に出てきます。髪に飾ろうか〜という歌詞をうたっていると少女時代の母が桃の花を髪にさして微笑んでいる姿が浮かびます。 |
7 ガード下の靴みがき | 1955年 宮城まり子 歌唱 宮川哲夫/利根一郎 |
戦後の焼け跡の景色が手に取るように広がってくる歌詞とメロディ。豊岡さんのリクエストで私の大好きな曲でもあります。宮城まり子さんの澄んだ歌声、人柄、肢体不自由児の施設、ねむの木学園を開設、一身を捧げた生き方に共感していた母は、自身も高知にある「土佐希望の家」という肢体不自由児施設の最初の看護師として働いていたので生き方に重なるものがあったのでしょう。当時中学生の私も毎週通ってはピアノや歌、食事のお手伝いをしていました。音楽を奏でるとみんなが床を転がりながら集まってきて、音楽の力はすごいと思いました。 |
8 黄昏のビギン | 1959年 水原弘 歌唱 永六輔/中村八大 |
この曲の作曲者、中村八大さんもジャズピアニストです。私が子供の頃から心奪われる曲はジャズが根底にあり、そのような曲は時が過ぎても色褪せない素晴らしい要素があります。雨に濡れた街や二人の情景を、ビブラフォンのサウンドで色付けしてみました。 |
9 上を向いて歩こう | 1961年 坂本九 歌唱 永六輔/中村八大 |
この曲もジャズのスタイル、リズムが基調になっているので、ヨーロッパやアメリカでもSukiyakiという曲名でヒットし今でも愛されています。辛い時、孤独な時、ふと顔を上げれば青い空、白い雲、陽の光はいつでもあそこにある。とりあえず、一歩、また一歩と踏み出せば何かが変わる。希望を持って生きることの大切さは時に歌が教えてくれることもあります。 ラストにこの曲をお届けしながらあなたの明日の幸せを祈ります。 |
眞美と母 |
今回のアルバムの曲のほとんどは幼い頃から母と台所や、寝床や、お風呂の中で一緒に歌った曲ばかりです。 |